DAY BY DAY

浅い眠りからふっと目を覚ました黄瀬は、

薄暗い機内の中、手元の腕時計に目をやって時間を確認した。

 

日付は随分前に変わっていて、6月19日

すでに日本時間に戻しているそれは明け方5時過ぎを指していた。

 

これだけ長い間一緒にいれば、誕生日を共に過ごせないこともある。

仕方ないと割り切れるほどには大人になって、それが自分の誕生日なら尚更、気に病むこともない。

 

それよりも、きっともうそろそろ起き出す頃だなと、

記憶に残る温もりを条件反射的に思い出して、黄瀬はふわりと笑った。

 

一緒に暮らすようになって数ヶ月。

相手の日常に入り込んで知ったのは、朝がとても早いこと。

 

昼も夜もない仕事をしているのは互いに同じで、

生活が不規則になれば、同じ屋根の下にいても簡単にすれ違う。

 

そうならないようにと心がけても、分単位で刻まれる過密スケジュールを縫うような生活では、

努力すればなんとかなるという問題でもなかった。

 

会えない日々が今までと同じように続くこともある程度は覚悟していたけれど、

意外にもそうならなかったのは、相手が必ず自分よりも早く目を覚ますからだった。

 

どんなに遅くまで書斎に籠っていても、翌朝には必ず同じ時間に起きる。

それは執拗に抱いた夜でも、〆切の直後でも、ほとんど変わらない。

 

朝ゆっくりと寝ていられるのは在宅の特権だと思うのに、真面目な彼らしい習慣だなと思う半面、

ギリギリまでベッドにいてくれればいいのにと勝手なことを思ったりもする。

 

温もりを追って無意識に伸ばした指先が、シーツの上で空虚に触れると、

未だにドキリと鼓動が高鳴り、ハッとして目が覚める。

 

逃げないように両腕に閉じ込めていても、離れないように強く抱きしめていても、

いつのまにかそれをすり抜け、一人ベッドをあとにしている。

 

ただ、それを残念に思うのはほんの一瞬で、

そのあとに待っているのは、補ってなお余りあるものだった。

 

時間になるともう一度寝室へ戻ってきて、

カーテンを開け、「おはようございます」と名前を呼ぶ。

 

寝ぼけたフリをしてそのままベッドに引き摺り込もうとしても絶対に靡かないけれど、

悪態を付く唇とは裏腹に、分かりやすく動揺を見せるから、離したくなくなる。

 

軽くあしらわれ仕方なくリビングへ向かえば、

ドアを開けた途端、部屋に漂うコーヒーの香りが鼻をくすぐる。

 

朝起きてコーヒーを淹れるのは彼の日課のようで、

「黄瀬くんも飲みますか?」と、すでに注がれたカップを手に、毎回律儀に聞いてくる。

 

料理はきっと得意じゃなくて、

朝食はたいていパンと、サラダと、ゆで卵。

 

「こんなんでいいんですか」という言葉から察するに、

それが誰のために用意されているのか自ずと知れて、甘やかされているなと思う。

 

家を出るときは必ず玄関まで送りに来て、「いってらっしゃい」って言って笑うから、

堪らなくなって唇を重ねたあとで、「行ってきます」と耳元で囁く。

 

どんなに忙しくてもすれ違うことが滅多にないのは、

彼によって作られるそんな何気ない時間があるからだった。

 

黄瀬は隣りで眠っているマネージャーを起こさないように、ゆっくりと傍らの小窓を開けた。

期待と心配を余所に、目の前は未だ暗闇に包まれていた。

 

下は海なのか大陸なのか、それすら分からない陰影は気持ちを逸らせるけれど、

遠く視線を伸ばせば生まれたばかりの光が地平線を走り、周りに浮かぶ雲と空を黄色く染めていた。

 

昇りはじめた朝日が直に明けるのだろう夜を彷彿とさせ、黄瀬はしばらくその景色をぼんやりと眺めた。

 

海外での撮影はキライじゃない。学ぶことも多いし、スタッフも一流だし、いい刺激にもなる。

ただ、物理的な距離と、縮まらない時差の中で、多忙を極めた2週間は死ぬほど長い。

 

加えて今回は特に、そうなる要素が多かった。

 

部屋に置き忘れた連絡手段と、

そばにあることが当たり前になってしまった温もり。

 

朝が強いこと以外に知ったのは、テレビはあまり見ないこと、ソファですぐに寝てしまうこと。

機嫌が悪い時は無口になって、仕事に集中し始めると声を掛けても気付かない。

 

そしてあとは、どんなに遅くなっても必ず起きて待っていること。

 

玄関のドアを開けると続くリビングの明かりはいつも灯っていて、

どこからともなく顔を出しては、朝と同じように今度は「おかえりなさい」と言って笑う。

 

朝も夜もすれ違わないのは結局すべてあの人の努力かと、

遠くの朝日を目に焼き付けて、黄瀬は再び瞼を閉じた。

 

あー… 早く会いてぇ‥‥

 

心の内でそう呟けば、呼応するように鼓動が逸り、

ズキズキと胸を圧迫しては、急速に黄瀬を息苦しくさせた。

 

 

 

 

DAY BY DAY

 

 

 

 

 

定刻通り空港に着いたのは午前10時。

雲の切れ目に流れた大陸の景色と着陸のアナウンスにいつになく胸がざわついた。

 

「じゃぁ黄瀬くん、今日はゆっくり休んで」

 

自宅マンションを目の前に、

送り届けてくれたマネージャーの声はすでに意識の向こうだった。

 

重い荷物を引き摺りながらフロアに辿り着き、玄関までの道のりは無駄に足早になる。

 

普段からこのときは緊張するからか、

キーを取出し、鍵穴に差し込むと、途端に実感が沸いて、心なしか指先が震えた。

 

今日は昼から打ち合わせが入っていると言っていたから、

この扉を開けても誰もいないのだろうことは分かっているのに、それでも緊張する自分に苦笑する。

 

扉を開けると案の定部屋はしんと静まり返っていて、人のいる気配はなかった。

黄瀬は靴を脱いで玄関に上がると、運んだ荷物をそのままにリビングへと直進した。

 

いつもと変わらない部屋の様子を一瞥して、誘われるようにソファへ向かう。

疲れた身体を深く沈めると、ギシっと皮の軋む音が聞こえて、部屋の静けさを強調した。

 

黄瀬はそこからもう一度辺りを見回して、整然とした其処此処にようやく安堵の溜息を洩らした。

生活感がないほどキレイな部屋は、一見してこの家に自分以外の誰も住んでいないことを連想させる。

 

けれど、自分一人だったらこんな生活空間は保てていない。

 

一つ屋根の下に暮らすようになって知った幸せは、

ここがあの人の居る場所であって、自分の帰る場所だということ。

 

それは当然逆でもあって、あの人の帰る場所も同じようにここなのだという幸せは、何にも代えがたい。

こういうときになんの憂いもなく、ただここで待っていればいいのだから。

 

ソファの心地よさに閉じていく瞼に気付いた黄瀬は、せめてシャワーだけでも浴びようと重い腰を上げた。

 

できれば湯船に浸かりたいなと頭の片隅で思いつつ、

湯が溜まるまで待っているのも、荷物の片付けも今は億劫で、しょーがないなと諦めたときだった。

 

脱衣所のカゴの中に畳まれたバスタオルを見つけた黄瀬は、

弾かれるようにバスルームへ足を運び、閉じられた浴槽のフタを開ける。

 

そこに張られていた湯はまだ温かかった。

 

 

 

 

 

 

 

風呂から上がった黄瀬は、玄関に置きっぱなしになっていた荷物をとりあえず自分の部屋へ運び込んた。

他の部屋と違ってひどく散らかって見えるのは、この部屋にだけはあの人が足を踏み入れないからだった。

 

別に要らないと言ったのに、絶対に必要なときがあるからと強引に持たされた専用の部屋。

 

同じように彼には書斎兼仕事場があるけれど、それは仕事の性質上必要なだけであって、

自分には専用の部屋など必要ないと思っていた。

 

でも今は、実際ほとんど使うことがなかったとしても、

この部屋があることの意味や、その役割を知っている。

 

「あー やっぱここに忘れてったか」

 

黄瀬はデスクの片隅に置かれたスマフォを見つけると、それを手に取って電源ボタンを押した。

真っ暗な液晶は色を失ったまま微動だにせず、まぁそうだよなと、充電器を片手に部屋を出る。

 

向かった先は二人の寝室で、

そこにはキングサイズのベッドがひとつ置かれている。

 

ここへ帰ってくることだけを考えて仕事をしていると、

そう言っても過言じゃないほど、大切にしている空間。

 

黄瀬は整えられたシーツの上にドサッと身を投げ出して、

懐かしいその香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

 

毎晩のように抱いて眠っても足りなくて、

腕の中にいることが当然となってしまった今は、それを知る以前にはもう戻れなかった。

 

残り香が眠気を誘ってこのまま堕ちてしまう前にと、

黄瀬はスマフォに充電器を繋ぐと、帰国の報告だけでもしようと電源を入れた。

 

ホームが立ち上がった瞬間、着信を知らせるアイコンがいくつも表示される。

 

2週間放置していたのだから、友人にしろ知人にしろ、

誰かしらからの連絡はあるはずで、特に驚きはしなかった。

 

ただ、アイコンに表示された未読件数が思っていた以上で、

誰がこんなにと思いながら開くと、一番上にあったのは予期せぬ名前だった。

 

「黒子っち…?」

 

決して少ないとは言えない未読会話を開くと、ちょうど出発日に遡る。

 

― いってらっしゃい

 

それはひどく黒子らしい送り方で、

計ったように、離陸直後に届いたものだった。

 

いつもだったらこれを最後に滅多に連絡なんて寄越さないのに、

次に入って来ていたのは、現地2日目の朝だった。

 

― 察するに、ケータイ忘れましたよね

 

その事実に黒子が早々に気付いたのは、

言わずもがな黄瀬からの連絡が途絶えているからだった。

 

たとえウザがられてもあれこれと報告を止めない習性を知っているだけに、当然の推測とも言える。

 

けれどそれはそれとして、いつもなら10回に1回も返ってこない頻度のメッセージが、

この日を境にどうしてか、1日と置かず、連日のように送られていた。

 

しかもその内容は、何をしただとか、何を食べただとか、

普段だったら絶対に送ってこないような些細な出来事。

 

返事が来ないと分かっているのにどうしてと思ったけれど、

返事が返って来ないからだと考えれば、それもまた至極あの人らしかった。

 

6月18日の零時ちょうどには「おめでとう」と入っていて、

「今年はメールで残念です」と、本気か冗談か分からないテキストに頬が緩んだ。

 

実際それがウソでもホントでも、

あの約束を覚えているなら、それだけで黄瀬には十分だった。

 

毎日何通も送られて来ていたメッセージは日付が今日になって、

出発したときと同じように、到着予定の時刻に合わせて「おかえりなさい」と締めくくられていた。

 

そこでアプリを閉じた黄瀬は、新たにメーラーを立ち上げる。

あの口振りから察するに、久しく受信していなかったメールの差出人は黒子のはずだった。

 

日付は誕生日。

本文にはたった一言、「好きですよ」とあるだけ。

 

SNSが普及して滅多に送られて来ることのなくなったケータイメール。

おめでとうに続けて送ってしまってもよかったのに、どうしてこれだけはわざわざメールだったのか。

 

その答えもきっと、至極あの人らしいはずだった。

 

日々の生活に忙殺されて、与えてもらうばかりの日常に慣れすぎて、

何か少しでも返せているのだろうかと、ときどき不安になる。

 

黄瀬はメールを保護したあとで、懐かしむようにこれまでの履歴を表示させた。

 

他人が見ればどこにその価値があるのか分からない内容も、

本人にはこれ以上ない言葉だったりする。

 

黄瀬は数年前の誕生日に送られてきたメールを見つけ、

この歳も確か、今年と同じように撮影で日本を離れていたなと、本文を開いて小さく笑った。

 

あれから何年が経っただろう。

 

年によって伝え方は違っても、約束した日からずっと、欠かさずに送られる言葉。

当然のようで当然じゃないと分かっていても、これからもずっと続くのだろうと思わせる。

 

「あぁ‥ 早く帰って来ねぇかなー …」

 

無性に会いたくて仕方なくて、

感情を静めるようにゆっくりと瞼を閉じた黄瀬は、そのまま深淵へと誘われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方過ぎに帰宅した黒子は、玄関に見慣れた靴を見つけ、その足でまっすぐリビングへと向かった。

廊下に上がった途端わずかに鼓動が速くなって、こんなことでも未だに緊張するのかと浅く息を吐く。

 

出迎えがなかった時点で予想はしていたけれど、探した気配はそこになくて、

それならきっととソファに荷物を放り、迷うことなくベッドルームを目指した。

 

気付かれないようそっとドアを開け、その先に金糸を認める。

足音に気を付けて側へ寄ると、ベッドの端で微かな寝息を立てる姿があって頬が緩んだ。

 

視線を移せば胸の上に落ちているスマフォが目に入り、確認している間に落ちてしまったんだろうなと苦笑する。

 

普段だったら絶対にしない行動をどう思ったのか、

不安に思わないこともないけれど、少しでも返せているならいいと思う。

 

黒子は無邪気な寝顔に思わず手を伸ばしたあとで、

起こしてしまったら可哀相だなと、前髪に触れるだけに留めた。

 

チェストからタオルケットを取り出し掛けてやると、

ついでにスマフォもと、胸元から取り上げてサイドテーブルに置く。

 

すると視線を外した瞬間、後ろから手首を掴まれた。

 

びくっと肢体が震え、引かれるままに振り返れば、

そこには薄っすらと笑う黄瀬の顔があってどきりとする。

 

「ただいま」

 

久しぶりに聞いた声に、じわりと全身が汗ばんだ。

 

「おかえりなさい」

 

黒子は釣られるように笑みを零すと、

ようやく触れられると、黄瀬の頬へ手を伸ばした。

 

「楽しかったですか」

「まぁ、そーっスね」

 

それはいい仕事ができたということで、

それならよかったと、触れた場所をさすりながら目を細めた。

 

「おつかれさまです」

 

言い終わるより先にぐいっと腕を引かれ、目の前に黄瀬の顔が迫る。

 

「な・・っ」

 

慌ててベッドへ片手をつくと、徐に唇を寄せられた。

 

「んっ、‥」

 

それもまた久しぶりの感触で、

重ねられた温もりに沈みかけていた熱がじりじりとぶり返す。

 

いつもなら有無を言わせず深い口付けに変わるから、

思った以上にあっけなく離れていった唇に黒子は未練を乗せた。

 

それをどうしてと問うより早く、

向けられた真っ直ぐな視線とともに答えが返ってくる。

 

「このまましたいんスけど」

 

その意味が分からないほどもう初心ではないけれど、

数え切れないくらい繰り返しても、このときだけは堪らなく緊張する。

 

久しぶりに会った今日なら、それは尚更だった。

 

「仕事しなきゃいけないんですが」

 

焦らしたいわけではなくて、

こういうときにどう答えていいのか未だに分からない。

 

「今日打ち合わせだったんだよね」

 

腕を掴んでいる手とは反対の手が伸びてきて、髪に触れる。

 

「そうですけど、それがどうかしましたか」

 

質問の意図が分からず怪訝な表情を見せると、

黄瀬は髪から手を離してゆっくりと起き上がった。

 

「〆切まだ先だよね」

 

それは確かめているのではなく断言で、

思いもしなかった返しに黒子は目を丸くした。

 

仕事の話なんてほとんどしたことがなくて、

今どんな話を書いているのかさえ、この人は出版されるまで知らない。

 

仕事のサイクルなんて当然知る由もないのに、どうしてそう言い切れたのか。

理由は一つしかなくて、黒子はふっと笑みを零した。

 

「そうですね」

 

一緒に暮らすようになってすれ違うことはなくなれど、

互いの忙しさは一様ではなくて、思うようには時間が取れない。

 

会える僅かな時間と、会えない多くの時間。

会話以上のことを知っているのは、それだけ相手を気に掛けているということ。

 

そしてそれを、この人は自然とやってのける。

 

「なら、構ってよ」

 

甘えるような声音とは逆に強引にベッドへ引き上げられて、

足を伸ばした黄瀬の上に、跨ぐ形で向き合わされる。

 

そろりと伸びてきた指先が太腿に触れ、黒子はぞくりと背筋を震わせた。

 

「せめてシャワー浴びたいんですけど」

 

太腿を這う手を上から覆うようにして制止すると、

黄瀬は自由なもう片方の手を黒子の首筋へ忍ばせた。

 

「知ってる、今日暑かったしね」

「だったら離してください」

 

そう言ったところで放す気などないことは雰囲気から十分伝わったけれど、

絶対に叶わないことを次の言葉で知る。

 

「どうせ汗かくじゃん」

 

こういう切り返しをするときは、

こちらの意見なんて最初から聞き入れる気がない。

 

「そういう問題じゃないです」

「生憎、こっちはそういう問題なんだよね」

 

案の定反論を許さない言葉が返ってきて、

思った通りの展開に黒子は小さな溜息を付いた。

 

「譲る気はなさそうですね」

「ないっスね」

 

項を掴んでいた手に力が込められ、黄瀬が唇間近に囁く。

 

「大丈夫っスよ、そんなこと気にならないくらい夢中にさせるから」

 

その自信はどこからくるのか心底疑問に思うけれど、

潔いほどキレイな顔をして笑うから、目が離せなくなる。

 

「よくそんなこと恥ずかし気もなく言えますね」

 

このまま流されるのはさすがに癪で、

ありったけの皮肉を含めば、それ以上の言葉を臆面もなく返してくる。

 

「だって黒子っち、オレが何しても気持ちいいでしょ」

 

太腿に大人しく置かれていた手が意思を持って動き、付け根まで運ばれる。

 

「たとえばほら、これだけでも」

「…っ」

 

びくっと小さく震えた肢体に黄瀬の口角が細く上がる。

 

「オレのこと、大好きだよね」

「否定はしませんが、それはキミもですよね」

 

分かりやすい挑発に乗って、

同じように返したことを黒子はすぐに後悔する。

 

「そーっスね、 正直、アンタがいれば他に何も要らないって本気で思ってるっスよ」

 

突然変わった空気に自由を奪われ、黒子は言葉を失った。

冗談でないことは目を見れば分かり、躱すことすら出来ない。

 

「だから今、アンタが足りなくて死にそうなんスよ」

 

こういう持ってき方は本当にずるいと思うのに、

それをどこかで嬉しく思う自分がいるから、なす術がない。

 

「卑怯ですよ」

 

悔しげに歪んだ顔を譲歩だと受け取った黄瀬は、

クスリと笑い、黒子の身体を勢いに任せてベッドへ組み敷いた。

 

シャツのボタンに躊躇いなく伸ばされた指先と、

再び近付いた唇にドキリとすれば、翻弄されないはずがなかった。

 

重ねられた瞬間から執拗に繰り返される口付けが、徐々に頭の芯を痺れさせる。

 

飽きるくらい何度も何度も繰り返され、

それでも終わりは見えなくて、いっそう深く激しくなるそれに腰が疼いた。

 

唇を舐め上げたあとに下唇を甘く噛まれ、思わず声が洩れると、

その隙間から強引に舌が挿入され、隅々まで口内を侵された。

 

黄瀬は口腔に捩じ込んだ舌で上顎を味わうようにゆっくりとなぞる。

不安そうに彷徨う舌を捉え、逃がさないよう執拗に絡めてやると、掠れた吐息が漏れた。

 

「ん、‥ ‥ぁ‥ ‥っ」

 

徐々に奥まで入り込んでくる舌に唇を解放してもらえず、苦しげに鼻で息をする。

 

黄瀬は黒子の中に潜む色情を掬い取ろうと、唇を貪りながら肌蹴た胸へ指を忍ばせた。

硬くなった胸の突起を軽く摘んでやると、堪えきれずに漏れた喘ぎが二人を引き離す。

 

「っん‥‥ は、ぁ‥ ‥ッ」

 

互いの間をいやらしく光る糸が結び、

その光景だけで黒子は軽くイキそうになった。

 

「ここでもこんなに感じるなんてエロいっスね」

 

喉元に舌を這わせながら囁いた黄瀬に、

そういう身体にしたのは誰だと言い返せば、鎖骨に歯が立てられる。

 

「い ‥ッ」

 

鈍い痛みに声を上げると、黄瀬の舌が噛んだ場所をねっとりとなぞり、

あとから訪れた甘い刺激に喉元が反り返った。

 

「オレだよね」

 

視線を合わせて悪びれた様子もなく笑う黄瀬が疎ましかったが、

これ以上言い返したところで、自分の不利益にしかならないと分かれば飲み込むしかない。

 

黒子が軽く唇を噛み締めると、

その心情を悟ったのか機嫌を取るように黄瀬が甘ったるいキスを落とす。

 

湿った唇はそれから徐々に胸元へくだり、深緋の跡を点々と残していく。

チクっとした痛みが走るたびに奥深くに閉じ込めていたはずの劣情を刺激され、下腹部が疼いた。

 

「っん、‥‥ ふっ‥‥、ぅん‥」

 

黒子の身体を知り尽くした黄瀬にしてみれば、

感じる場所だけを選んで早急に追い込むことなど造作もなくて、

思った通りに反応する媚態に支配欲をそそられないわけがなかった。

 

愛撫を続けながらズボンへ手を掛けると、慣れた手つきでファスナーを下ろす。

すでに硬くなった中心を衣の上から食むと、髪に絡んでいた指先にぎゅっと力が込められた。

 

「黄、瀬くんっ‥」

 

無意識に呼んでいるのだろう名前は何を訴えているのか、

拒絶だったとしても、懇願だったとしても、黄瀬がそれに左右されることはなかった。

 

服を剥ぎ取り、露わになった屹立に舌を這わせると、それにはさすがに黒子の腰が引ける。

何度シても羞恥心が勝るのだと知っているから、この反応も特に気にしていなかった。

 

「黄瀬くん待っ‥‥ぁ、‥や、め‥‥っ」

 

黒子の制止も聞かず先端のから零れる蜜液を舐め、手で扱くと、語尾を繋げずに訴えは嬌声に変わる。

それを心地よく聞きながら、黄瀬は猛った中心を口に含んだ。

 

「はっ‥、‥ぅん‥‥ あ‥‥っ」

 

与えられる愉悦には素直に喘ぎを洩らすのに、

髪を握り締める指先は力を増す一方で、本気でそこから唇を離そうとしている。

 

それに気付いた黄瀬は、不服げに顔を上げた。

 

「そんなにイヤ?」

 

この問いにびくっと肢体を震わせ黒子は、言葉を濁すように口籠った。

 

「や‥‥そう‥、じゃなくて‥」

「じゃぁなに?」

 

弁解に気を取られた所為か、指の力が一瞬緩まって、

黄瀬はそれを狙ったようにすべてを口に含むと、根元を唇で擦りあげ、先端を喉の奥で吸い上げた。

 

そのまま唇を上下に動かし激しく嬲ると、

再び黒子の指先に力が入り、今度は分かりやすく拒絶を示す。

 

「ひぁっ‥‥ほんとに、も‥やめ‥っ」

「だからなんで?」

 

そう聞く黄瀬の言葉のどこに羞恥を煽られたのか、黒子は急激にカァァと顔を上気させた。

 

「なに?どうしたんスか」

 

少しくらい考えれば分かりそうなことをどうして執拗に聞くのか、

顔を上げて不思議そうな顔をする黄瀬が、黒子には忌々しくて仕方なかった。

 

「だから、そんなふうにされたらすぐにって、キミだって久しぶりなら分かるはずでしょう‥っ」

 

無神経に聞き返す黄瀬へ当てつけるように吐き出したあとで、

「それくらい察してください」と、黒子は居た堪れず目を逸らした。

 

そこでようやく理解した黄瀬は、ふっと表情を緩める。

きっとこの2週間、自分で自分を慰めたことなんてなかったのだろう。

 

そんな時間すらないほど忙しかったのか、それともあるいは、

 

「オレが帰るまで我慢してた?」

 

そうだったらいいのにと勝手なことを思いながら聞き返した黄瀬に、

黒子は心底恨めしげな視線を向けた。

 

「うるさい、です」

 

可愛げなく放っても羞恥に駆られた表情では逆効果だと、

知らないのなら身を持って知ればいいと、黄瀬は再び口腔に黒子の屹立を導いた。

 

「な、‥‥は、ぁっ‥‥やめっ‥‥黄瀬、くん‥っ」

「別にイけばいいじゃないっスか」

「いやです‥っ」

「なんで」

「なんでもですっ‥」

「しょうがないっスねぇ」

 

頑なな黒子の態度にわざとらしく溜息を付いた黄瀬は、

中心から唇を離して、代わりに太腿を舐め上げた。

 

「ん‥‥っは、ぁ‥‥‥」

 

黒子の腰が僅かに浮いて、苦しげな吐息の中に安堵の息が混じる。

黄瀬は脚の間から顔を上げると、自分の指先を口元へ運んだ。

 

見せ付けるように唾液で指を濡らし始めた行為の意味を、黒子は当然知っている。

こちらを見つめたまま視線を逸らさないのもおそらく故意で、視姦されているような錯覚に身体が震えた。

 

耐え切れずにシーツへ顔を伏せると、

それを阻止するように黄瀬の指先が伸びて、視線を元に戻される。

 

唇の形をなぞるように指先で触れ、ぐいっと顎を引かれた。

 

「黒子っちも舐めて」

 

その言葉の通り、黄瀬は口から指を引き抜くと、唾液に塗れたそれを黒子の口内へ入れた。

 

「んっ‥‥」

 

温かく湿った粘膜をなぞり、指先でざらついた舌に触れる。

 

「ちゃんと濡らして」

 

窘める黄瀬の言葉を聞くように舌先が指に絡みついて、

飲み込めないのだろう唾液が口内を徐々に満たしていく。

 

上手く息ができず溢れる生理的な涙と、

口腔に納まりきらなくなった唾液が、黒子の肌を伝い流れ落ちる。

 

「‥ん、…っ…ぁ、…」

 

苦しさに耐えて指を濡らす姿はあまりにも淫艶で、黄瀬の背筋が愉悦にぞくりと戦慄いた。

 

「オレが何しても気持ちいいでしょ」と言った黄瀬の言葉は事実で、

何をされても、何をしても、身体は勝手に反応し、簡単に乱れる。

 

たとえば今のこの行為でさえ、

なんのために誰の指をと思えば、目の前が恍惚とするほど感じる。

 

先ほどよりキツく立ち上がった屹立が、ダラダラと先端から夥しい淫水を溢す。

それを隠したくても黄瀬がいることで脚を閉じられず、すべてを赤裸々に晒すしかない状態に眩暈がした。

 

「これ、感じるの?」

 

分かっているくせにそう聞く黄瀬を憎らしく思っても、

そう聞かれれば、聞かれた言葉にすら感じるのだからどうにもならない。

 

指を引き抜かれたことで、溜まった唾液をごくりと嚥下した黒子は忌まわしげに口を開く。

 

「見て分かりませんか」

「そーっスね」

 

黄瀬はいやらしく笑うと、二人の唾液に濡れた指を硬く窄まった後孔に宛がった。

 

「ん、…っ」

 

次にやってくる感覚を知っているそこは無意識にヒクつき、

けれど同時に訪れる圧迫感と衝撃も知っているから、自ずと身構える。

 

「力抜いて」

 

黒子に走った微かな緊張に気が付いて黄瀬は優しくそう促したが、

入口を割った指先はズッと容赦なく挿入され、柔らかな肉壁を抉るように根本まで収められた。

 

「っは‥ぅん‥‥」

 

腰が誘うように揺れ、黒子から艶やかな喘ぎが洩れる。

 

「あ、…はっ…黄瀬く、ん…」

 

黄瀬は後孔から力が抜けたことを知ると、狭い内側を慣らすように抽挿を開始した。

 

「ひっぁ‥‥っく‥‥はっ‥‥」

 

入口が徐々に解れていくと、一旦指を引き抜いて、人差し指に中指を添え2本まとめて挿入する。

 

最初はギチギチと食い千切るように強く締め付けても、

咥え込むことをすでに経験として覚えているソコは、律動を繰り返される度に黄瀬の指を柔らかく締め付けた。

 

指を大きく開いて円を描くように回すと、

腸壁がいやらしく蠢く様が、指と指の間から覗くほどだった。

 

ぐちぐちと卑猥な音が部屋中に響き、

体内を蹂躙する指が2本から3本へ増える頃には、黒子の口から嬌声しか洩れなかった。

 

「き‥せ、くん‥…もう‥‥っ」

「イっていいっスよ」

「も…、いいですから…早く、来てください…っ」

 

優しく髪を撫でても、先ほどと同じように黒子はそれを拒む。

 

「今日はなんでそんなにイヤがるんスか」

 

絶頂を煽るように奥にある一点を集中的に攻め始めた黄瀬に、

黒子の背中が綺麗な弧を描いて仰け反る。

 

「ひっ…ぅ…、あ…黄瀬…くん、お願い…ですから…」

 

ここまで頑ななのには何か理由があるはずで、

けれど黄瀬には見当も付かずにいると、黒子が涙目に訴える。

 

「今日…は、途中で落ちるとか、ヤなんですよ…っ」

 

だから早くと急かす黒子の表情も、求めるように伸ばされた両腕も、

黄瀬の理性を焼き切るには十分で、どうしたって抗えるわけがなかった。

 

「なんスかそれ」

 

膝裏に両手を掛けて黒子の脚を大きく左右に開くと、

すでに限界まで大きく反り勃った熱を入口へと宛がった。

 

「ん、…」

 

黒子の肢体が微かに震えたことに気付いた黄瀬は、

上体を傾けながら腰を進めると、半分まで沈めたところで額に唇を落とした。

 

「は…ぁっ」

 

ゆっくりと確実に内側へ侵入してくるそれは、指で慣らしたとはいえ圧迫感は比ではない。

 

苦しげに顔歪めた黒子は黄瀬の背中に爪を立てて、

狭い入口を拡げられる痛みと、体内をせり上がる感覚をやり過ごした。

 

「……ッ」

 

呼吸を忘れた唇はただ息を詰めるだけで、

いつまで経っても抜けない力に黄瀬は優しく囁いた。

 

「それじゃツラいだけっスよ」

 

唇を開かせるように顎を引いてやると、

その意味に気付いた黒子は、無意識に止めていた息を深く吐き出した。

 

素直に従った黒子に目を細めて、

わずかに弱まった締め付けにぐっと根元まで自身を押し込む。

 

熱い体内にすべてを沈めた黄瀬は、

中が馴染むのを待つようにそこで動きを止め、代わりにもう一度黒子の額に口付けた。

 

瞼、目尻、蟀谷、頬へと、軽く触れるだけのキスを落とし、

唇へも同じように重ねたあとで、その刹那を惜しむように深い口付けに切り替える。

 

そのまま気が済むまで貪って、

ようやく解放してあげたところで黄瀬が不意に口を開いた。

 

「あれ、すげぇ嬉しかったっス」

 

表情を見れば、何をと聞くまでもない。

 

「忘れるなんてバカですね」

 

憎まれ口を叩いた黒子の心理を察するように、あまりにも嬉しそうな顔をするから、

こちらのくだらない思惑がそれこそバカみたいだった。

 

「オレも大好きっス」

 

隠すことのない真っ直ぐな想いはこの人の強さでもあって、

もう飽きるほど聞いているのに、未だに胸を締め付けられる。

 

純粋に向けられる想いに叶うはずもなく、黒子は釣られるように笑みを溢した。

 

「知ってます」

「っスね」

 

黄瀬が笑い、二人の間に沈黙が走る。

 

きっとこの人は、今年も同じようにあの言葉を口にする。

黒子がそう思った矢先、黄瀬がその通りに囁いた。

 

「ありがとう」

 

この約束に感謝しているのは黒子の方で、

そう言いたいのは自分の方なのに、一度だって伝えられたことがない。

 

「毎年飽きもせず安上がりですね」

 

それどころか例年のように可愛げなく返す黒子を、黄瀬は愛しげに見つめ返した。

 

「一生飽きないっスよ」

 

付き合い始めて最初の年、誕生日に何か欲しいモノはないかと直球で聞いてくる黒子に、

黄瀬は笑いながら「そんなモノないっスよ」と答えた。

 

けれど咄嗟に、「あ、だったら」と言って願ったもの。

 

― 毎年、誕生日には黒子っちの気持ちが欲しいっス

 

1年に1回でいいから「好き」って言ってと、冗談交じりにお願いすると、

「相変わらずの乙女思考ですね」と呆れたように黒子は苦笑した。

 

― ダメっスか?

塩らしく懇願したところで絶対に断るんだろうと思っていた。

けれど、

 

― 黄瀬くんがそれでいいなら

 

何がそうさせたのか、驚くほど容易く快諾した黒子は、

それからずっと、黄瀬の誕生日が来るたびに、この約束を守る。

 

「前にもこんなことあったっスよね、そんときのメール見る?」

「見ませんけど」

 

心底イヤそうな顔をする黒子を笑い、黄瀬は唇を落とした。

 

「なら、今年は直接言ってくれないんスか」

 

あの年は確か、メールを受け取って、そのあとも直接好きだと言ってくれた。

正確に言えばまぁ、言わせたわけだけれど。

 

「もう誕生日終わりましたけど」

 

そのときのことでも思い出したのか、

冷たく言い切る黒子が黄瀬には可愛くて仕方なかった。

 

「そーゆうところは変わらずつれないっスねぇ」

 

わざとらしく落胆した声を上げる黄瀬に、黒子がふっと笑った。

 

その表情の裏にどんな思いがあるのか分からないけれど、

ほんの少し笑っただけなのに、どうしてこんなにも心を揺さぶられるのか。

 

黄瀬にはきっと、一生かかっても解けなかった。

 

「そろそろ続きしていいっスか」

 

だいぶ馴染んだ黒子の内側は、もっとと欲しがるようにヒクつき始める。

 

「むしろ、早くシてください」

 

首筋に両腕を回しながら責めるように耳元で囁いた挑発にのって、

黄瀬は躊躇いなく律動を開始した。

 

「はっ‥、ぁ、‥‥ん‥っ」

 

一度解放してしまった衝動は止められなくて、

黄瀬は両手で太腿を掴み、激しく抽挿を繰り返した。

 

首筋に回されていた腕がシーツの上に投げ出されても、黄瀬がその手を緩めることはなくて、

ギリギリまで抜いてはそこから勢いよく中へと穿つ。

 

「あ、‥ぁ、‥‥もっ‥と、‥ゆっ、くり‥‥っ」

 

「ごめん、無理」

 

「ひ、ぁ‥‥んっ‥‥」

 

黒子の肉壁が収縮して、引き抜こうとするたびに黄瀬を捕らえ、

挿入するたびにキツく吸い付くように締め付ける。

 

「ふっ‥‥っく‥‥」

 

もっと奥に辿り着きたくて欲望のままに腰を打ち付ければ、

痛みと快楽の狭間に沈められ黒子は揺すられるままに嬌声を上げた。

 

止まらない肉欲で壊してしまいそうなほどに激しく突き、

黒子もまたそれに応えるように、愉悦を求めて自ら腰を揺らす。

 

「ん、ぁ‥‥っ‥ぅあ、‥は‥‥、あぁっ‥‥」

 

黄瀬の手が体液を滴らす黒子の中心に伸ばされて、

前からも後ろからも与えられる悦楽に、濡れた喘ぎ声だけが室内に響いた。

 

「そんなにいい?」

 

恥辱を煽るように聞きながらも最初から答えは求めていないのか、

黄瀬は両足を肩に担ぎ直し、最奥を目指して腰を進める。

 

「ひぁあ‥っ‥‥!」

 

さらに容積を増した黄瀬の肉塊が何度も何度も体内を穿ち、

朦朧とする意識の中で黒子はそっと腕を伸ばした。

 

その仕種が何を求めているのか知っている黄瀬は、上体を落として唇を寄せた。

 

「好き、大好き、黒子っち」

 

繰り返される言葉と、重なる直前で呼ばれた名前に、

黒子はビクンと弓なりに背中を反らせる。

 

「はっ‥‥あ‥っ、‥‥も、きせくん‥‥‥‥っ」

 

シーツを手繰りよせ、爪の先が白くなるほど握り締めた黒子が、黄瀬に限界を訴える。

 

「いいっスよ、一緒にイこ?」

 

冷静にそう言いつつも、限界なら黒子よりもずっと前に訪れていて、

もっていかれそうな正気を、黄瀬はやっとの思いで繋ぎ止めている。

 

それを解放するように何度も名前を呼び、好きだと囁き、黒子を高みに追い詰めた。

 

「――――――― っ!!」

 

声にならない声が上がった瞬間、

黒子の内側が痙攣し、後孔がきつく収縮する。

 

その強い締め付けに黄瀬もまた耐え切れず、黒子の中に熱い飛沫を放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

体重を掛けないよう黒子の上へ覆いかぶさった黄瀬は、ハァハァと上がる息をそこで整えた。

すると同じように胸を激しく上下させた黒子が、耳元で途切れ途切れに囁く。

 

「あのときよりも、今の方がずっと、すきですよ」

 

それはきっと、先ほど途切れた会話の続きで、

まさか黒子自らそんなふうに話を戻すとは思ってもいなかった。

 

ゆっくりと顔を持ち上げた黄瀬が瞳を覗き込むと、

それに合わせるように、黒子が目を細める。

 

「一緒に暮らせて、キミとの時間が増えて、すごく幸せだと思ってます」

 

一緒に暮らしていてもなお、すれ違いは避けられなくて、

そうならない努力を黒子がどれだけしているのか知っている。

 

「過ぎてしまったけど、誕生日おめでとう、です」

 

そう言われて嬉しいはずなのに、どうしようもなくキリキリと胸が痛んだ。

 

「オレは、ちゃんと返せてるんスかね」

 

情けないなと思いつつも、耐えられずにそう聞けば、黒子がふわりと微笑む。

 

「なら、今こうしているのは誰のおかげですか?」

 

その問いに答えられる自信なんてあるはずもなく、

口を噤んだ黄瀬に、黒子はもう一度、今度は満面の笑みで返した。

 

「ボクは、キミからもらった分も返せてないですよ」

 

そんなことあるはずがないのに、どうしてそんなふうに言えるのだろうと、

急速に熱くなっていく目頭に気付かれないよう、黄瀬は強く、腕の中にある身体を抱き締めた。

 

 

 

 

それはオレの台詞だと、どうしたらこの人に伝わるのだろう。

どうしてオレは、こんなにもアンタのことが好きなんだろう。

 

昨日より、今日より、明日より、

日を追うごとに大きくなっていく気持ちを、どうしたら形にできるのだろう。

 

 

「黄瀬くん、聞いてます?」

 

黒子の声が温かく耳に響いて、

涙が零れないよう強く瞼を閉じることしか、黄瀬にはできなかった。