キミは僕に、どんな想いをくれますか

読んでいた本からふと顔を上げた黒子は、そのまま視線をスライドさせて部屋の時計を確認した。

 

01/30

PM 11:56

 

デジタルが示す日時に、もうそろそろ寝なくてはと本を閉じる。

いつもはこんな時間までそうそう起きていないのに、今日に限って眠れなかったのは、あの人の言葉を真に受けて勝手にその気になったから。

約束をしているわけではないし、連絡してくる保証なんて何処にもない。そもそも忘れている可能性だってあるし、覚えていたとして、忙しいあの人が本当にこんな時間に連絡してくるとは考えにくい。 

― もうすぐ黒子っちの誕生日っスね

ここのところ会えば必ず言われた台詞。特別のことのように何度も繰り返し確認された。そんな幸せそうな顔をするほど何が楽しみなのか、正直今でも不思議に思う。

この日が純粋に嬉しいと思っていたのは幼少のときだけで、去年のことだって思い出せないほど、今はこれといった思い入れもない。

― オレ、黒子っちに一番におめでとうって言いたいんスよ 

いつ言っても同じじゃないかと本心では思うけれど、会うたびにそう言って笑うから、引き摺られるようにその気になった。

けれど間際になって不意に、それが零時ちょうどとは限らないと気付く。

なんとも思っていない割には全力で期待している自分が恥ずかしくて、黒子はすぐさま布団の中に潜り込んだ。

 

01/30

PM 11:58

 

目を閉じる前に見た液晶の点滅が瞼の裏に焼き付いて離れない。

この日に思い入れなんてないつもりだったけれど、こうして待ってしまうのは、心のどこかで望んでいるからだと知っている。

RRRRRR...

突然耳元で鳴った携帯の着信音に、黒子はビクっと肩を震わせた。

 

 

 

キミは僕に、どんな想いをくれますか

 

 

 

「もしもし黒子っち?」

聞き慣れた声に言い知れぬ感情が込み上げて、ちらりと時計を確認すれば、さらに胸が苦しくなった。

 

01/30

PM 11:59

 

「起きてたっスか?」

さほど日常と変わらず過ぎていくはずだった日を「特別な日」だと思わせるほど、甘い声で、表情で、しつこいくらいに繰り返しておいて、期待しないはずがない。

眠れるはずもなく、こうやって何気ない言葉の一つ一つにいつも振り回されるのに、自分が及ぼす影響がどれほどのもか、この人はそろそろ自覚した方がいい。

「ちょうど寝ようと思っていたところです」

込み上げた悔しさに抑揚なく答えても、電話越しの声はさらに優しさを増すだけだった。

「ならもう少しだけ、日付変わるまで待って」

自分の気持ちに絶対的な自信を持っているからなのか、こちらがどんな反応を示してもその態度は絶対に揺るがない。

一途に向けられる想いに絡め取られて、いつのまにか心まで侵されたのはきっとこちらだった。今はもう、あのときのように離れることもできない。

無言のまま何も答えずにいると、それをどう取ったのか黄瀬が茶化すように続けた。

「カウントダウンしていいっスか」

「恥ずかしいからやめてください」

即答する黒子に、はは、と乾いた笑いを零した黄瀬は、今度は何も言わず電話口で押し黙った。

顔が見えない分、相手が何を考えているのか分からないけれど、それでもなんとなく伝わるものがある。

一分がこんなにも長いと感じたのは生まれて初めてで、徐々に高まる緊張に、早くその時が来ればいいと思った。

「オレね、」

薄い隔たりの向こう側で相手が静かに口を開き、先ほどまでとはガラリと変わった声のトーンにドキリとする。

「改めて言うのもなんなんスけど、」

そう前置きをしたあとで、ひと呼吸置いた黄瀬がイヤと言うほど甘い声で囁く。

「黒子っちのこと大好きなんスよ」

その言葉に指先が反射的に震えた。毎日のように繰り返される「好き」という言葉。もういい加減慣れたと思っていたのに、こんなにも簡単に動揺させられる。

耳の奥へ流れ込んだ言葉が急速に身体を熱くしていくのが分かって、焦りと気恥ずかしさから咄嗟に口を衝いて出たのは、いつもと同じ可愛げのない台詞だった。

「知ってます」

それを向こうは小さく笑う。

「うん、だから、」

何かを待つように一寸間が空いて、直感的にそれが意味するところを知れば、視界の端でピッとデジタルの表示が変わった。

 

01/31

AM 00:00

 

「生まれてきてくれてありがとう」

溢れ出すさまざまな感情に身体中が熱くなって、何か言わなければと思えば思うほど、その焦りが言葉を奪った。

「今日、会いに行ってもいいっスか」

言ったあとで羞恥が込み上げたのか、それとも意図的に切り替えたのか、相手の声音と雰囲気が途端にいつもの調子に戻る。

けれど上げられた動悸はそう簡単に戻らない。ドクドクと脈打つ心臓が痛くて、二つに一つの簡単な質問にすら答えられなかった。

沈黙が沈黙を呼び、無言を躊躇いと取ったのか、困ったように黄瀬が続けた。

「ダメっスか」

「そうじゃないです」

そう答えるのが精一杯の黒子に、それでも十分だと思わせるほどの嬉しそうな声が響く。

「じゃぁ待ってるっスね」

たったこれだけの時間と言葉と約束で、一睡もできなくさせるほどの存在だと、この人は知っているのだろうか。

 

 

* * *

 

 

「誕生日祝いにメシでも食ってくか?」

部活が終わり、火神とともに校門に向かっていた黒子は、そう誘われたあとで視線の先に揺らめく金糸を認めてふわりと笑った。

「すみません、今日は先約があるので」

隣りを歩いていた火神を見上げて惜しげもなくそう言うと、理由を示唆するように黒子が再び前方へ視線を伸ばす。

釣られて視線を追った火神はすぐさま納得した。

「あー、黄瀬?」

「はい」

今に始まったことではないけれど、決して近いとは言えない距離を、黒子のためにわざわざ出向いてくる黄瀬の献身さに火神は感嘆する。

「アイツってほんとお前のこと好きな」

「えぇ、そうですね」

まさかそんなふうに返されるとは思っていなくて、珍しく素直に肯定した黒子に火神は瞠目した。

黄瀬を映しているのだろうその瞳と晒された表情に、意図せずして黒子の想いを知る。

「へぇ」

そして今日だけは、それを少し羨ましく思った。

 

 

 

「その紙袋、誕生日プレゼントっスか」

「えぇ」

黒子が抱えていた紙袋に目を遣った黄瀬は、大量に入った中身になぜか嬉しそうに笑った。

「持つよ」

腕の中から紙袋を取り上げて、片手で抱えた黄瀬はやっぱり嬉しそうに目を細める。

「黒子っちは人気者っスね」

「よく分からないガラクタとか要らないモノがほとんどですけど」

その場のノリや面白半分にもらったものが大半で、特にそこまでのことではないと何の気なしに言った台詞に、黄瀬は不思議そうな顔をした。

「でも、これをくれた人たちの思いはそれ以上っスよね」 

その言葉にあぁそうかと黒子は思い知る。

行動の裏には必ずその人の思いが働いていて、意識しないと気付けない人と、意識せずに感じられる人がいるとすれば、この人はきっと後者にちがいない。

「黒子っちのこと大切に思ってる証拠っス」

この言葉をきっかけに、意識しないと気付けない想いがあることに黒子は気付かされる。

たとえば、

日付が変わる前に掛かってきた電話。

日付が変わると同時に言われた言葉。

自分のために惜しみなく割かれる時間。

当然のように会いに来ること、待っていること。そして、

この日が大切なのだと何度も繰り返し伝えてきた意味。

これ以上の想いなんてなくて、今さら気付いて苦しくなった。

「あーそうだっ!」

思い出したように声を上げた黄瀬が、そういえばまだちゃんと顔見て言ってなかったっスね、と照れたように笑う。

「誕生日おめでとう、黒子っち」

今日はもう、何度も何度も言われた言葉。

なのになぜか、その一言にたまらなく胸が軋んで、込み上げる涙を堪えられなかった。