キミを遠く近く感じる日

「さて黒子っち、二月十四日は何の日でしょう」

 唐突に始まった分かり易すぎる誘導に、黒子は面倒臭そうに溜息を漏らした。

「それは答えないといけない質問ですか」

 まさかそう返されると思っていなかった黄瀬は、この計画が予定通りに進まない可能性が出てきたことを、多少なりとも不安に思った。

「質問に質問で返すのはルール違反っスよ」

「誰ルールですか」

 反比例するように急降下していく黒子との温度差に、黄瀬は必死で現状の巻き返しを図った。

「誰とかどーでもいいじゃないっスか、みんな言ってるっス」

「子供ですか」

 幼稚な抗弁に黒子が呆れた表情を見せると、これ以上冷められては回復が難しいと思ったのか黄瀬は強引に話を進めた。

「そんなことより早くっ!!」

 しかし勢いに任せたくらいで相手を捕らえられるわけもなく、事態はあっさり黒子のペースへと暗転した。

「急ぐ意味が分かりませんが、当たったら何か褒賞はあるんですか」

「オレの愛「なら答える必要ないですね」」

「ちょっ せめて最後まで言わせてっ」

 意気盛んに放った台詞も言い終わる前に遮られ、完全に移ってしまった流れはもはや返ってくる気配すらなかった。

「で、それがなんですか」

「華麗にマイペースっスね」

「この会話に興味をそそられないので」

「ヒドっ」

 決して本人に悪気があるわけではなく、拒絶しているわけでもないと知っている。でもたまにはもう少し素直になって欲しいとか、優しくして欲しいとかは、正直思ったりもする。

「黒子っちのチョコが欲しいっス」

「嫌です」

「即答!? てゆうかなんでっスか!?」

「なんでもなにも逆に何でですか」

「だから質問で返すのやめてほしいっスっ」

「はぁ」

「まさかバレンタイン知らないとかないっスよね」

「えぇまぁ、一応は」

「好きな人にチョコあげる日っスよ」

「それは日本企業の戦略であって別にチョコでなくても‥」

「真面目っ!! つかオレが言いたいのはそこじゃなくて、だから好きな人からチョコが欲しいって話っス」

「なら黄瀬くんがボクにくれるのが道理だと思うんですが」

「え、黒子っちオレからチョコ欲しいんスか?」

「いえ、それは言葉の綾であって特には要らないです」

「心が痛いっス! なんでそんなことが言えるんスか」

「だからボクが言いたいのは、それはあくまで自発的なものであって、強請って貰うことに意味はあるのかってことです」

「だって黒子っち言わなかったらくれないじゃないっスか」

「まぁそうですね、その行事に興味ないですし」

「行事って‥」

「というか、その日は会いに来ないでください」

「えぇ?! なんでっスかっ?!」

「会いたくないので」

「さすがにヒドすぎッス!」

「そうですか?」

「そうっスよ!!」

「でもそういうことなんで宜しくお願いします」

「一方的っ!!」

「うるさいですよ」

「横暴っ!!」

「なんとでも」

どう言い返しても冷たくあしらうだけで、頑なに応じようとしない黒子に、黄瀬はこれ以上の手立てを持っていなかった。

 相手の一途さだったり、不器用さだったり、照れ屋なところを知っているし、そんなところが好きだったりするけれど、もう少し気持ちを表に出してくれてもいいんじゃないかと思ったりもするわけで、黄瀬は公然と落胆した。

相手の気持ちを信じていないわけではない。でも、たまには口にしてくれないと分からない気持ちもあって、ずっと強くはいられない。

― ねぇ黒子っち、オレだって不安に思うことはあるんスよ

ふぅっと諦めたように吐息を洩らした黄瀬は、口には出して言えない思いを人知れず飲み込んだ。

 

 

 

キミを遠く近く感じる日

 

 

 

バレンタイン当日、朝からずっと「新着メールなし」の表示から変わることのない液晶画面に、黄瀬はハァと長い溜息を付いた。

ちょうど一週間前のあの日、会話の途中で勢いよくその場をあとにしてしまってから、黄瀬は黒子に連絡できないままでいた。当然その逆もない。

もともと一日と置かず連絡をするのは自分だけで、向こうが自ら連絡をしてくることなんて数えるほどしかなかったのだから、一週間くらい平気で音沙汰のない黒子にとっては、このくらいの音信不通はどうってことないのだろう。

未だに不貞腐れている自分も相当ガキっぽいと思うけれど、同時に向こうにとっては他愛のない口喧嘩だったんだと教えられて気持ちが沈む。会いたくないなら会いたくないで、その理由くらい知りたかった。

悶々としたまま時間だけが過ぎて、行くか行かないかを考えているうちにすっかり日は暮れていた。胸ポケットにあるケータイが機能した形跡はなくて、着信履歴と受信メールを確認して、望んだ一人からの連絡がないことを知ると、黄瀬は再びポケットにそれをしまった。

片腕に抱えた大きめの紙袋には知らぬ間に増えていた贈り主の分からないチョコが溢れんばかりに詰め込まれていて、それを横目に小さく吐息を洩らす。こんなにたくさん貰っても好きな人から貰えないんじゃ意味がない。

ブレザーのポケットに手を突っ込んだ黄瀬は、一日中忍ばせていたチョコレートの箱を握り締めると、やっぱり会いに行こうと意を決した。

欲しくないといえば嘘になるけれど、会いたい理由はそれだけじゃない。長引いた練習のせいで今から向かっても誠凛に着く頃にはおそらく誰もいない。会えるかどうかも分からないし、会えたところで邪険にされるかもしれない。でもこれだけはどうしても渡したくて、黄瀬は薄暗い闇の中を走り出した。

 

 

 

誠凛に着いたときすでに校庭には人影がなくて、入口の扉も閉められていた。

「あーまぁ、そーっスよね」

最初から予想していたからか、黄瀬は特に力を落とした様子もなくすぐに踵を返す。真っ直ぐ帰っているとすればきっともう家に着いている頃なのだろうけれど、どうしてもそれ以外の可能性に賭けたくて、心当たりの場所を数件回った。

電話でもなんでも捕まえようと思えばきっといくらでも捕まえられたのに、そういうものに頼りたくないと思ったのは勝手な自己満足で、当然思うようには見つからなかった。

他に行きそうな場所や思い付く限りのすべての場所を洗い出して、知っているようで知らなかった相手のプライベートに焦りが増した。残された場所は一つしかなくて、おそらくそこにいなければ、今日はもう見つけられない。

 

 

薄暗いコート内にボールの跳ねる音を聞いた黄瀬は、反射的にホッと胸を撫で下ろした。

「こんなに暗くてボール見えるんスか」

背中越しに声を掛けると、その声にびくっと肩を震わせて相手が振り返る。

「やっと見つけた」

コートの端に点々と立つ電灯に照らされて、互いの表情がようやく認識できるほどの距離と暗闇。

「どうしてここにいるんですか」

「探したから」

怪訝な顔をされても屈託なく笑った黄瀬の表情に、黒子の胸がどきりと高鳴り、一瞬にして絆さそうになる。

けれどそれも束の間で、腕の中にある紙袋に気付けばその熱も一気に冷めて行く。そしてあとに襲われるのは予想していた以上の妬心。

好意を寄せられることが日常の黄瀬にとって、こんなことは取り立てて騒ぐほどのことでもない。実際に今までだったら気にも留めなかった。

それなのにそれがいつからか軽く流せなくなって、誰かが好意を寄せるたびに、心に暗雲が立ち込めるようになった。

こんな醜い感情を知られたくないから事前に釘を刺したのに。

「会いたくないって言いましたよね」

黒子は不機嫌な口調で言いながらボールをバッグにしまうと、傍らに置いてあった飲みかけの紙カップを手に取った。

それを見た黄瀬は、自分の予想もあながち間違っていなかったと口元を緩める。

「やっぱり寄ったんスね」

「人の話聞いてるんですか」

それは完全に八つ当たりで、黒子自身、これが身勝手だとも狭量だとも自覚している。けれどままらなない状況に感情がコントロールできない。

「聞いてるっスよ」

「じゃぁなんで会いに来たんですか」

想像するだけで嫉妬が渦巻き、それと同時に相手をひどく遠くに感じる。本当はこの感覚が一番耐えられなくて、未曾有の不安と恐怖にいつも押し潰されそうになる。

「どうしても今日渡したかったんスよ」

ごそごそとポケットから小さな箱を取り出した黄瀬は、それを黒子の前に差し出した。

「コレ」

黄瀬は黒子の心情など知る由もないし、きっと嫉妬にすら気付いていない。なのになんでもないようにそうする一途さに、黒子はきゅっと唇を噛み締めた。

「黄瀬くんはズルいです」

「えっ、なんでっスか」

突然のことに驚く黄瀬を尻目に、黒子は開き直ったように淡々と続ける。

「キミも欲しいですか」

「え?もしかして用意してくれたんスか」

少なからず期待の混じった眼差しから逃れるように俯いた黒子は、手元のストローを口へ運ぶと、乾いて仕方のない喉を潤わせた。

「いえ、してません」

躊躇いなくはっきりと否定されて黄瀬は思わず苦笑した。

「あ、そうっスよね、いや、別にいいんスけど」

「そうではなくて、」

勝手に納得する黄瀬を制するように続けた黒子は、大事そうに抱えられた紙袋へ分かりやすく視線を向けた。

「そこに紛れるのがイヤなので」

明らかに何かを示唆する言葉と視線が、自分の都合のいい解釈とは思えず、黄瀬は途端に狼狽えた。

「あ、や、…」

動揺を隠せず戸惑う黄瀬を笑い、黒子は再びカップのストローに口付けると、すーっと中身を吸い込んで、黄瀬のブレザーの襟をぐっと力任せに引き寄せた。

「え、わっ、黒子っち‥!?」

驚いて目を見開いた黄瀬を無視して、伸ばした指先を項へ忍ばせる。そしてそのまま唇を寄せると、逃げないようにキツく重ね合わせ、その中へ甘い液体を流し込んだ。

「ん‥ッ」

ごくっと喉が鳴り、中身が飲み込まれたことを知ると、黒子は少しだけ口を浮かせ、相手の唇に付いた残りを舐め取るように舌を這わせた。

びくっと黄瀬の身体が微かに震え、それに気を良くしたのか黒子がイタズラに言う。

「もっといりますか」

「くれるんスか」

求めるような目を向ける黄瀬を笑い、黒子は再び唇近くまで顔を寄せた。

「別にいいですよ、ボクはあまり好きじゃないので」

期待させるように言ったクセに、次が与えられることはなくて、重ねられた唇はそこから深い口付けに変わった。

催促してやろうと思うのに、黒子が主導のキスなんて滅多にあることじゃなくて、絡みつく甘い舌に黄瀬はされるがままに応えていた。

しばらくしてどちらともなく唇が離れると、それまでの口付けがウソのように涼しげな表情した黒子が、ぶっきらぼうに手の中のカップを差し出した。

「欲しいなら、あとは自分でどうぞ」

そんなつれない態度でも、黄瀬は顔が綻ぶのを止められなかった。

「オレのためにこの味にしたんスか」

結局相手の思うように転がされていることが悔しくて、くるりと背を向けた黒子は、流し目に捨て台詞を吐く。

「バレンタインに興味はありませんが、キミが欲しいって言うなら仕方ないでしょう」

まさかそんな台詞を聞くと思っていなかった黄瀬は返答に窮し、それを知ってか知らずか再び黒子が口を開く。

「こう見えてキミには弱いんです」

言葉とは裏腹に、恨めしげな視線を寄越す黒子が殊の外印象的で、前を歩き出したその背中に黄瀬は伏し目がちに微笑んだ。

「あー‥ やっぱ黒子っちには敵わないっス」

 

 

人知れず呟いた声が、真冬の空に溶けて消えた。