CHRISTMAS 2012

だから、さよなら。 / 今までも、これからも。 

この年になってようやく、どんなに喚いても、願っても、手に入らないものがあると知った。

 

 

 

だから、さよなら

 

 

 

明日はクリスマスだから何でも叶えてやろうって、突然目の前に現れた誰かにそう言われた。たぶんそれは夢の中。よく見れば、赤い服の小太りのおじいさんで、あぁサンタクロースかって特に驚くこともなく。

じっと見つめていたらあの特徴的な笑い方で豪快に笑って、白い大きな袋を肩から下ろすと、その口を広げてこちらへ向けた。

― 欲しいモノひとつだけ、おまえは何を望む?

そう聞かれてそれはほとんど条件反射だった。頭を過った面影に、もう諦めると決心したばかりなのにと苦笑すれば、それを解したように相手がにっこりと微笑んだ。

パチンと指を鳴らされて、意識が深淵へと落ちる。

― 欲しいモノひとつだけ

そんなうまい話、あるはずがないのに。

 

 

クリスマス・イブ

 

 

街中にイルミネーションが煌めいて、すべてが華やぐ季節。人肌恋しくなるというのは本当で、この時期になると嫌でも思い出してしまう人がいる。

いい加減忘れろと何度も言い聞かせたのに、その姿を見てしまうと揺らぐ気持ちが憎かった。

周りがクリスマスに浮かれていようと大事な試合を前に練習が無くなるはずもなく、今日も明日もそれ以外の予定はないけれど、その方がかえって良かったと素直に思う。何も考えられないくらい身体を動かしているときだけは楽になれたから。

どうしても気分になれなくて、練習後、チームメイトの誘いを断わり一人家路に着いた。

街のざわめきも、装いも、空気も、すれ違う人々の表情さえも、見ているだけで幸せな気分にさせるのに、家に着けばその反動は大きくて、大概自分でも鬱陶しかった。

シャワーを浴びたあとでベッドへ横になり、ケータイを開く。メールも電話も稀にしかしないのに、簡単な操作をするだけで出てくる名前に溜息を付いた。

『何してんスか』

そうメールをしたら、律儀に返事は返ってくるのだろうけれど、その返信がなんであれ、切ない気持ちになるだけだと分かっているから指は動かない。

今もまだ残って練習をしているのなら、その隣には誰がいるのか。練習後にチームメイトと何処かに寄っているのなら、楽しんでいるのだろうか。それとも今日はイブだから、自分の知らない誰かと約束でもあるのだろうか。

「あぁぁぁー マジで自分がうぜぇー‥‥」

液晶に映った文字をじっと見つめていた黄瀬は嘆くように呟くと、パチンと画面を閉じて、その手を額に押し付けた。

想う時間が長すぎてきっかけはなんだったのか、いつからこんなに好きなのか、それすら思い出せない。

どうしてこんなに好きなのかも、なんで友達のままじゃダメだったのかも、想いが強すぎて、今はもう冷静に考えられない。

この恋が不毛だってことは自分が一番よく分かっていて、こんなにもヒドくなる前に、何度も何度も諦めようと努力した。けれどそれが報われることはなくて、今でもまだバカみたいに大好きで、どうしたらいいのか分からない。

理性で歯止めが効くのならとっくにそうしていたし、手遅れになる前にきっと忘れられていた。

この想いから解放されるなら何でもするのに方法が見つからなくて、本当にもう限界だと思えるほど苦しのに消せなくて、強く強く願ったら消えるのか、誰かに縋ったら忘れられるのか。

「サンタさんがいたら簡単に叶えてくれないっスかねー‥」

そんなバカなことを口にするくらいには追い詰められていて、呟きながら目を瞑るとなぜか急激な睡魔に襲われた。

そのまま抵抗する間もなくスーと意識が閉ざされて、一瞬の闇のあと、その言葉は本当になった。

それが夢の中だと思ったのも、フツーに順応していたのも、要するにそれが「夢」だからで、何でも叶えてやろうっていう言葉にそれならと淡い期待をした。

こんな夢を見るほど切羽詰っていたのかと嘲笑すれば、世界は再び暗転する。

そして次に浮上したとき目の前にいたのは、焦がれて焦がれて仕方のない人だった。

 

* * *

 

 

「これ、黄瀬くんの夢の中ですか?」

「そうみたいっスね」

「そうですか、で、僕はなんでここにいるんでしょう」

会ってすぐ不審げにそう言った相手は、現実の黒子っちそのままで、なんだか分からないけれど妙に安心して、ハハっと笑いが零れた。

「たぶんオレが呼んだっス」

「はぁ‥わざわざクリスマスにですか」

夢だからって甘くない相手にうーんと小さく頷いて、それでもやっぱり会えたことを嬉しく思える自分が可笑しかった。

「クリスマスだからじゃないっスか」

意味深にそう言ったところで伝わるはずもないけれど、夢だからこのくらい大きく出てもいいと思った。

「よく分かりませんが、それで僕はなんで呼ばれたんでしょう」

「一日奴隷っス」

「帰ります」

蔑んだ目でこちらを見る相手に思わずアハハと失笑すると、その表情は俄に呆れ顔へ変わって、それでもやっぱり怒りはしなかった。

「夢の中でも黄瀬くんは黄瀬くんですね」

「だから諦めて今日一日だけ黒子っちの時間ちょーだい」

こちらの申し出に相手はじっと瞳の奥を見つめて、少しするとふーっと吐息を洩らした。

「仕方ないですね」

それ以上の理由を聞かずあっさりと受け入れたのは、きっとこれが夢だからなのだろうけれど、それでも別に構わなかった。

 

 

二人でしたかったこと全部。買い物をして、ご飯を食べて、たまに寄り道をして、疲れたらカフェに入って、そんな些細なことが特別で不意に目頭が熱くなった。

他の誰かだったらもっと上手く立ち回れたのに、本当に好きな人を前にすると情けないほど緊張して、手を握ろうとしたけれどタイミングが計れなくて、肩を抱こうとしたけれど自然にはできなくて、腰に腕を回そうとしたらそれはさらに難易度が高くて、そのたびに挙動不審になるのを不思議そうな目で見つめる相手に鼓動が激しくなった。

そうやって何もかも思い通りにならないまま日が沈み、人の波が街に溢れだす頃、その時は突然やってきた。

人混みに飲まれそうになって、肩をぶつけられた相手がバランスを崩してよろめいた瞬間、

「危ないから手貸して」

そう言って強引に手を取っていた。

「あの、黄瀬くん」

後ろから呼ぶ声で、相手がどんな顔をしているのか想像が付いたけれど、繋いだ手を振り解かれることはなかったから強気に出た。

「離さないっスよ」

「っていうより、これ変ですよね」

じわじわと汗ばんでいく手の平と、上気していく顔。急速にスピードを増した鼓動に吐きそうになりながら、ようやく紡いだ言葉。

「この人混みじゃ誰も気付かないっスよ」

そもそも互いに夢だと認知しているのだから、こんなのは手を離さない理由にはならいのだけれど、少しの沈黙のあとで相手が口にしたのは予想外の返事だった。

「確かにそうですね」

納得したようにそう言って、それ以上の力でぎゅっと強く手を握り返すから、やっぱりこれは夢なんだと言い聞かせて、どうしてか流れ出そうになる涙を、唇を噛んで耐えた。

 

 

最後に訪れたのはクリスマスツリーの有名な公園で、写真でしか見たことがないのに細部まで鮮明だった。

「この辺じゃこれが一番キレイらしいっスよ」

「そうなんですか?」

「だから黒子っちに見せたかったっス」

そろそろタイムリミットだと思えば自ずと大胆な発言もできるようで、こんなこと現実じゃきっと言えなかった。

「それもなんか変ですね、こういうところへは普通女の人と来るものでしょう? 特に黄瀬くんなんかは」

「そういうもんっスかね」

視線を下ろして静かに返すと、ツリーをじっと眺めながら相手が呟いた。

「でも、本当にキレイですね」

期待なんて微塵もしていなかったはずなのに、その表情がなぜか薄っすらと切なげに浮かんで抱き締めそうになった。

無理やり視線を逸らし、不測の衝動から逃れようと会話を探していると、キラリと光ったツリーの飾りに目が止まった。

「そーいえばこのツリーに飾られてるスノーフレーク、全部シルバーなんスけど、一つだけ金色が混ざってるらしいっスよ」

それは仕事仲間の女の子から聞いたジンクスで、滅多に見つけられないと聞いていた。

「それを見つけたら願い事一つ叶うらしいっス」

こんなに簡単に見つけられたのはこれが都合のいい夢だからだろうなと、心の内で苦笑しながらツリーに近付くと、たくさんある飾りの中からその一つを取り上げた。

「だからコレ、黒子っちにあげる」

目の前へ差し出した小さな金色の結晶は、クルリと回転して光を帯びた。

「ダメですよ、それは黄瀬くんが見つけたものですから」

「黒子っちにもらって欲しいんスよ、クリスマスプレゼントっス」

そう言って強引に開いた手の平の上にそれを乗せると、相手はそれでも困ったように顔を歪めた。

「それにオレはもう少しで願いが叶うはずだから、これは要らないんスよ。だから、ね?」

視線を合わせて懇願してみせるとようやく折れてくれたようで、ぎゅっと包み込むようにスノーフレークを握り締めた。

「ありがとうございます」

真っ直ぐに自分を見つめる瞳が、胸に痛かった。

「誠凛は楽しいっスか?」

唐突な質問に相手は一瞬目を丸くしたけれど、小さく笑ってすぐに口を開く。

「そうですね、とても」

「帝光中の時よりっスか?」

「それは比べられないです。黄瀬くんやみんなと過ごした時間もすごく大切です」

「そうっスか」

「黄瀬くんも、海常は好きですか?」

「そうっスね」

「それなら大切なのは今ですから、僕は誠凛で、黄瀬くんは海常で」

「そーっスね」

余計なことを言ってしまわないように、ずっと堪えていた想いが溢れ出してしまわないように、頷くことしかできない自分に、相手は今までで一 番優しい表情で笑う。

「離れていても、大切なのは変わらないですから」

その言葉を向けられた瞬間、堪らず腕の中へ身体を引き寄せていた。そのまま腰を抱き、項に指を絡ませて、苦しいほどの想いから唇を奪う。

この夢が覚めたらきっと忘れるから、だから、今だけ。

「オレ、黒子っちのこと大好きだったっス」

耳元へ注いだ想いは冷たい風にさらわれて、儚く消えた。

 

 

 

どんなに泣いても、喚いても、願っても、手に入らないものがあると、はじめて知った。

 

 

 

 

ねぇ黒子っち、だから、さよなら。