CHRISTMAS 2012

だから、さよなら。 / 今までも、これからも。 

それは望むべくもなく。

 

 

 

今までも、これからも

 

 

 

ハッと目が覚めて、薄暗い部屋の中、ぼんやりと天井が浮かぶ。靄がかかったように意識が混濁としていても、ここが何処か分かれば、あとは「夢」だと自覚するのも早かった。

いつもなら見た夢のことなんて一切覚えていないのに、こんなときばかり夢と現実の境が曖昧になるほど鮮明で、取った行動も、会話も、結末も、何もかもひとつ残らず憶えていた。

その映像を上書きしたくて再び意識の奥へ戻ろうとすれば、目を閉じた刹那、蟀谷を伝った感触にそれを知る。

「うわー‥ダセェ‥」

拭っても拭ってもひとりでに溢れ続ける涙に、黄瀬は寝返りを打って蹲ることしかできなかった。

夢から覚めたら忘れると約束したから、こんなふうに辛いのも、きっともうこれで終わる。

 

 

クリスマス

 

 

今日だけは一人でいるのが憚られて、練習後の誘いに乗って散々騒ぎ倒したくせに、そのあとで向かった先は、未練がましくもあの時のことを思い出せる場所だった。

もうそろそろクリスマスも終わるからか、閑散としはじめた公園には人も疎らで、立ち止まってわざわざ見ていく人も少なかった。

ツリーの目の前に立ってそこから真上を見上げる。同じように見つめていた影が重なって、キレイだと言った横顔が瞼に浮かんで、鼻の奥にツンとした痛みが走った。

このまま忘れられなかったらどうなるのか、ふっと過ぎった不安は忽ち全身を侵し、消えることのない苦しさに、はじめて恐怖を感じる。

叶わないと分かっているのに忘れられなくて、諦めたいと思っているのに想いは強くなるばかりで、どうすればいいのか分からない。

あんな夢を見たところで所詮意味などなくて、願いなんて叶うはずもなく、手に入れることも、忘れることも。

「あー……」

思わず声を洩らした黄瀬の横を、冷たい風が吹き抜ける。寒さに震えそうになるのにそれでも足が動かないのは、ここを離れるときにはすべて終わりにすると決めたからだった。

コートの襟を立てて冷気を凌いだ黄瀬が、最後にもう一度ツリーを見上げると、視界の先でくるりと何かが光った。引かれるように視線を伸ばせばそれは金色の珠飾りで、自ずとあのスノーフレークを思い出す。

夢の中で見つけた場所と同じところへ視線を運んだのは単なる興味本位だったけれど、徐々に速くなっていく鼓動は明らかに諦めの悪さを露呈していて滑稽だった。

人混みの中、手を繋いだことも告白も、焼き付いて離れない表情も言葉も、願望が見せたただの虚妄にすぎないのに、今さら何を期待するのか。当然探したものがそこにあるはずもなくて、空しさだけがあとに残った。

辺りが一層しんと静まり返った気がして周りを見ると、人影はもうどこにもなくて、これが引き際かと足に力を込める。

「黄瀬、くん‥?」

するとその瞬間、聞き覚えのある声に突然名前を呼ばれ、そこに居た人物に息を飲んだ。

「黒子っち‥?」

烈しく胸を叩き付ける鼓動と高まる緊張に、呼吸の仕方さえ忘れそうだった。

「どうしたんスか‥?」

まるで頭が働かなくて、その問いがあっているのかさえ分からなかった。ただ相手も同じように驚いているようで、丸い目をさらに丸くしてこちらを見つめていた。

「折角なのでクリスマスツリーを見に来たんですが、奇遇ですね」

けれど口を開けばまったく狼狽した様子もなく、これも想望の延長かと苦笑が漏れた。

「こんな時間に一人でっスか」

「大きなお世話ですが、それなら黄瀬くんも同じじゃないですか」

なんとか冷静を装う自分に対し、目の前の相手はさらにあっけらかんとしていて、この出会いに運命など微塵も感じさせない脈のなさに口の端を上げるしかなかった。

「まぁそーっスね、でもなんでここなんスか」

案外フツーに会話を続けられたことを安堵する黄瀬に、黒子はなぜかじっとその目を見つめ返した。

途端に沈黙が走り、聞いてはまずいことだったのかと別の話題を探していると、勘違いだったと思うほどあっさりと黒子の口が開く。

「ここのツリーがキレイだと聞いたので」

その答えに黄瀬の中で急激な悋気が込み上げた。

他人の言葉に滅多に左右されない人がその言葉を信じてここへやって来たのだとすれば、それだけで特別な存在と知れて、誰かも分からない見知らぬ相手に堪らなく嫉妬する。

「それよりキミが一人でツリーを見に来てるなんて意外ですね」

何も言わない黄瀬を怪訝な表情で見つめながら、黒子は話を進めた。

「フラれたんですか?」

本人は冗談のつもりだったのだろうけれど、今の黄瀬には胸に痛すぎて苦笑するしかなかった。

「まぁそんなとこっスね」

黄瀬の表情からそれが少なくとも嘘じゃないと察したのか、予想外の答えに黒子は途端に狼狽えた。

「あっ、その‥、すみません‥」

「別にいいっスよ」

そう言っておきながら、閉じかけた口をもう一度開いたのは、これが最後だと思えばどうしても抗えず、いっそのこと付け込んでやろうと思ったからだった。

「あーでも、その代わり一緒に探して欲しいものがあるんスよ」

諦めが悪いと言われても別に構わなかった。

「なんですか」

不思議そうに聞く黒子を尻目に黄瀬はツリーを仰ぎ見て、さっきの場所よりも少し離れた所を探しながら言ってみる。

「オレ今すげぇ好きな人がいるんスけど、どうしてもその人のこと忘れたいんスよ。でも自分じゃできそうもないから何かにすがろうかと思って」

「なにか?」

「このツリーに飾ってある金色のスノーフレーク見つけると願いが叶うらしいから」

それを一緒に探してくれないかと目を合わせて乞う黄瀬に、黒子は今までにないほど驚いた表情を見せた。

瞬時に変わった顔付きに、逆に黄瀬が驚かされる。

「どうかしたんスか」

怪訝に問うと、黒子もまた同じ表情で黄瀬を見上げた。

「それって、このツリーのことですか」

「そうっスけど、黒子っちも知ってるんスか」

「そのジンクス、すごく有名らしいですから」

そう言ったあとで考え込むように俯いた黒子は、再び顔を上げた時、さらに懐疑的な目をしていた。

「でもそれ、本気で言ってるんですか」

それはこのジンクスを信じていることに対してなのか、或いはあるはずもないものを探そうとしていることに対してなのか、黒子の言う本気が何を意味するの分からなくて、黄瀬は戸惑いながら答えた。

「本気っスよ、こんな時間だけどまだ残ってるかもしれないじゃないっスか」

「いえ、そうではなくて、このツリーにそのジンクスがあると、本気でそう言ってるんですか」

珍しく口早に問う黒子に、黄瀬はいっそう困惑した。

「そーっスけど、違うんスか?」

「さっきまで、僕もこの公園のツリーがそうだと思ってました」

意味深にそう始めた黒子はふーっと自分自身を落ち着けるように一息付いてから、あとの言葉をゆっくりと繋いだ。

「でも、本当はこのツリーじゃないんですよ」

「えーっと、どういうことっスかね?」

混乱した顔を見せる黄瀬に黒子は不意に笑った。

「僕は全然知らなかったんですが、そのジンクスすごく有名なんですよね。半信半疑で誠凛の皆に聞いたらすぐに場所を教えてくれて驚きました。でもいざそこへ行ってみたら、お世辞にもキレイだとは言えないツリーがあって、違和感を覚えたんです。どうしてだと思いますか?」

そんなふうに聞かれても、黄瀬には黒子の言わんとすることがまるで分からなかった。

「ごめん、言ってることがよく飲み込めないんスけど」

「まぁそうですよね。簡単に言うと、僕はジンクスのあるツリーを、この辺りで一番キレイなツリーだと教えてもらったんです。でも実際はそうじゃなかった。これなら分かりますか?」

繰り返される問い掛けは徐々に具体的になっているようだったけれど、黄瀬には何一つ咀嚼できなくて、差し出された糸は捕え所のないまま絡み合うだけだった。

押し黙ってしまった黄瀬の様子に、黒子は小さく苦笑した。

「僕に教えてくれた人が勘違いをしてたってことなんですけど、キミに心当たりはないですか?」

穏やかに尋ねる黒子の言葉にゴクリと喉が鳴った。

「きっと今まで、このツリーに金色のスノーフレークがあると信じていたのは、僕と黄瀬くんだけです」

キミがそれを僕以外の誰かに言っていないのなら、と付け加えられた刹那、先ほどまで煩雑に絡んでいた糸が、するりと解け始めた気がした。

弾かれるように視線を移せば、夢の中ではあんなに飾られていたシルバーのスノーフレークが、目の前のツリーにはまったく見当たらない。

確かに仕事仲間とこのジンクスの話をしているとき、雑誌の特集ページにはいろんなクリスマスツリーが掲載されていた。

それを勘違いしてこの人に教えた?

その疑問まで辿り着いたとき、黄瀬の心臓がドクっと大きく脈打った。

「黒子っちは、それを誰から聞いたって?」

不整脈を起こしたのではないかと思うほどドキドキと鼓動が乱れ、口の中がやたらと乾いた。

「キミですよ、その所為でこのツリーを見つけるのにどのくらい苦労したと思ってるんですか」

そう言われて考えられる可能性は一つしかなくて、ただそれは絶対にありえないはずで、疑心暗鬼が黄瀬を襲った。

「いやでも、オレが黒子っちに会ったのって久しぶりっスよね」

「えぇ、でも聞いたのは夢の中ですから」

さらっとそう言った黒子に黄瀬は思わず息を飲んだ。

「昨日、黄瀬くんの夢を見たんです」

「ちょっ黒子っち、なに言ってるんスか」

認めたくないわけではないのに、そんなことが現実に起こるわけがないと、身体中の細胞がその可能性を否定する。

もし仮に二人が同じ夢を見ていたとすれば、どんなに望んでも手に入らないと思っていた結末を期待せずにはいられなくなる。けれどそんな浅はかな期待はもうしたくなかった。

「あのときは言いませんでしたが、本当はキミに会いたいって思ったんです。そしたら夢の中でキミに会いました」

それなのに黒子は、その可能性を彷彿とさせるように言葉を止めない。

「最後にキミと二人でこのツリーを見たとき、教えてくれましたよね?」

非日常的なことも、奇跡と呼ばれる類もほとんど信じていない。それはこの先もきっと変わらない。

「それ、夢っスよね」

「夢ですね」

ただ、全部が全部、俄かには信じられなくても、その言葉が何を意味するのかくらいは分かる。

期待なんてするつもりはないけれど、握り返したあの手の強さも、離れていても大切なのは変わらないと言って笑ったあの温かさも、そして今、この人がここにいるのも、願望が見せた虚妄ではなく、すべては本人の。

「でもきっと、同じ夢を見ていましたよね」

屈託なく笑った黒子の表情は、すべてを信じさせるに足りた。

急激にいろいろな感情が溢れ出て、一気に胸が締め付けられる。何かしゃべったら涙が込み上げてきそうで、なにも言えない黄瀬に黒子が悪戯に笑う。

「黄瀬くんの願い事はなんですか?」

夢の中で貰ったスノーフレークの代わりに叶えてあげますと、茶化すように黒子が言うと、震える唇で黄瀬が乞う。

「黒子っちが、欲しいっス」

「だったら、忘れたいなんて言わないでください」 

責めるような口調で強引にネクタイを引っ張った黒子は、顔を近くまで寄せると、そこでふわりと笑う。

「黄瀬くんのこと、好きですよ」

その瞬間、パチンとツリーのライトアップが消えて、辺りを静寂が包み込んだ。

暗闇の中、至近距離で合わせられた視線に黄瀬が動揺を隠せずにいると、まるであのときの言葉を真似るように黒子が囁く。

「この暗さじゃ、きっと誰も気付かないです」

そしてそっと唇が重ねられた。

 

 

 

想うだけで苦しくて、それでも大好きで、もうずっと、望んだモノはひとつだけ。

 

― 欲しいモノひとつだけ、おまえは何を望む?

 

そんなモノ最初からひとつしかなくて。

今までも、これからも。

キミしかいらないんスよ。